タスクシュートを見るのが嫌で仕方なかった
この記事は「Designer’s Cafe」より転載しています。
今や、TaskChute(タスクシュート)は、私のタスク管理にとってなくてはならない存在です。
「あると便利」というレベルを超えて、「ないと本気で困る」。
TaskChuteの便利さは、以前にも書いたことがありますので、詳しくは触れませんが、TaskChuteがなくなった状態を例えるとすれば、「今までナビを頼りに運転していたのに、いきなりナビが使えなくなった」という状況に近いです。
けれど、今でこそ頼りになるパートナーですが、実は、TaskChuteが嫌で嫌で仕方なかった時期もありました。
そう、使い始めて間もない頃の話です。
TaskChuteが告げるもの-ありのままの自分
TaskChuteの最大の特徴の一つに、「時間のログが残る」というものがあります。
実は、これが嫌でたまらなかったんです。
いや、ログが残るのが嫌だったんじゃなくて、「ログに残っている、自分の無残な姿」を見るのが嫌だった。
私がTaskChuteを手にとったきっかけは、「時間を上手に使って、もっと夢に近づきたい」ということでした。
しかし、どうでしょう。
口ではそう言いながら、頭ではそう考えていながら、実際に出てくるログのありさまは。
実際に、夢に向かって取り組んでいる時間なんて、ほとんどない!
その無残なログを見るたびに、自分の弱さを見せつけられているようでした。
受け入れるところから始まる
しかし、ログを見るのが嫌だからと言って、「じゃあTaskChuteを使わなかったらいいか」といえば、当然違います。
それは、「鏡を目の前からどけたら、自分の姿を見なくて済むじゃないか」と言っているのと同じこと。
結局、今までの自分と何も変わらないのは、明らかでした。
そこで、悔しいけれども受け入れることにしました。
どんなに理想と違うログが残ったとしても。
夢に向かって使えている時間が、一日に30分もないようなありさまだったとしても。
それが今の自分だと正直に受け止めることにしました。ここから始めよう、と。
いったん受け入れてしまえば、不思議なほど楽になりました。むしろ、夢に向かって取り組む時間が、30分になり、45分になり、一時間を超えていく。その増えていく様子を見るのが楽しくなってきました。
無様な自分の姿を見るのは嫌でしたが、それを目の前に突きつけ、受け入れさせてくれたTaskChuteには、本当に感謝しています。
結局は、何をやるにしても、現状を受け入れることからしか始まらないんだと思います。
スポーツでも、体力のない段階でいきなりハードなトレーニングはしません。まずは自分の体力を測定して、そこから無理のないトレーニングメニューを作っていくでしょう。
時間やタスクの管理もまったく同じです。始めは、理想から始めるのではなく、「体力測定」から始めないといけない。
そこで「今のあなたの体力はこれくらいです」と見せられた結果にガックリきたとしても、それを受け入れたとき、はじめてスタートラインに立てるんだと思います。
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